距離

「DISTANCE」第一弾、本多劇場からの「一人芝居の無観客生配信」一週間の公演がすべて終わりました。私が観劇できたのは初日と4日、今日の2公演です。多少無理してでも全部観ておけば良かった。


初日はとにかく迫力(笑)

永島敬三氏の演技というかもはやパフォーマンス。圧倒的なセリフ量とリズムのある表現は「柿喰う客」の看板引っ提げてという講釈に恥じない圧巻だった。最初はただバカバカしいだけの脚本も後半一気に狂った世界へとなだれ込む。冷静になってしまえば「変なの」というだけの物語も、その瞬間には何故か切なく言いようもない感覚へと引きずりこまれてた。

井上小百合さんの舞台は秀逸だった。というかこれは脚本がかなり良い(単に好み)。これ一回だけの公演なんてもったいないよ。絶対にもったいない。それこそシアコンで様々な女優さんに演じて欲しい。舞台も自分で考え、演出もし、演じる。 きっと様々な色が出るはず。「ひとり芝居」の意味のある作品だと思う。

入江雅人さんのはちょっと驚いた。途中のあれ「興奮するな」って台本なの?マジだったの? このセリフ・熱量はどこまでご本人の心のものでどこからが演技なんだろうか?これが演劇というもんなんだろうか。

4日目の小林顕作さん。「オフロスキー」ってすでにキャラだったんですね。楽しくシェークスピアを覚えることができました(笑)悲劇・喜劇・史劇。並べられると以外に知ってるもんです。オセロミジュリアスシーザーサラダ・・・・トロハムタイ!とうぇるぶないっ!!!(笑)ああ、これは・・・これこそは観客が目の前に居てナンボの舞台だったんじゃないだろうか。

今日の千秋楽

片桐仁さんの3冊の絵本の朗読。最初の子供向けの絵本にちょっと「???」ってなったけれど2冊目・3冊目と引き込まれる。2冊目のお野菜戦争はお話がすごく面白かった。その世界観を存分に朗読で聞かせてくださった。で驚いたのが3冊目の「つちはんみょう」の絵本。ほぼ昆虫の正確な観察記録なんだよ。でも、ナレーションのように淡々ではなく物語を感じたんだ。読み方ひとつで文字がさらに世界や力を持つんですね。

ラストは柄本時生さん。演劇らしい?空間が広がった。


前後の掃除員のお二人も変化(アドリブ)を楽しんでるのが伝わったよ。私は日ごとに内容が進んでいくのだと思っていたんだけど、毎公演この部分はアドリブ進化こそすれ内容は変わらなかった。何となく「ああ、毎日同じ台本を繰り返すのも舞台の特徴だよね」とか変に関心した。

発起人のお二人が演じたこの部分。「DISTANCE」企画の意図を表したものだったんだろうな。それぞれの演劇が食べるべき本体だったとしてその「ラベル」というか「信号」というかキャッチコピー的な。この前後を含めてひとつの舞台だったんだよ。もっと言うと、この1週間全部でひとつの舞台だったんだよね。色んな演劇を今のDISTANCEで表現してみる。全部をひっくるめてひとつ。以下は 「DISTANCE」公式さんからの引用です。

「DISTANCE」とは、表現者と演劇の距離、演劇と観客の距離、そして、表現活動における心の距離。
今一番感じているものを一言に纏めたものです。
この演目によって、各々が演劇との距離を再確認できればと考えています。

更に私にとってはもっと大きな流れの物語を見た気がしている。

発起人の御笠ノ氏がこれを準備して立ち上げるところから。

別に声高にそのような話をされていた訳でもないし私が裏話を知っている訳でもないけれど、例えばブログやツイート、雑談配信でチラ見えしてた部分もあって…。だから感じるんだよ「同じカレンダーの中で」これらは準備されていたのだと。

シアコンのことも含めて「この禍」の中で御笠ノ氏がどのように考え、どう動いたのか(勿論、ご本人に胸の内を根ほり葉ほり聞いた訳じゃないから本当はわからないけど)。私からは見えたのはまさにそういう「いい意味でのドラマ」だったんだよ。

ま、あのOPとEDの映像と音楽でかなり感傷的に仕上がっているせいもあるかもだけど。


「DISTANCE」

色んな間にあるDISTANCE、距離、空間、時間

この禍は私と「演劇」の距離をぐっと、ぐぐぐ~~~~~っと縮めてくれた。たくさんの配信で演劇を観る機会に恵まれた。刀ミュのような商業演劇はまだしも、小劇場なんて奈良住まいの私にはもしかしたら一生縁のないものだったかも知れない。

それでも、だからこそ劇場で「生」の距離感で観れない遠さを感じる。きっとこれは同じ空間で味わうべきものだのだと思い至る。

苦しかった場所から離れる事が出来た。よく生きて帰ってこれたものだと自分で自分を誉めてやりたい。離れてみてむっちゃ近くしか見えていなかったことに気が付いた。

ある人の人柄を身近に感じる事ができた。遠く離れているはずのその人が何を考え何を成したのかに触れて、私の中の価値観がカタチを持てるようになった。あれほど「強くなりたい」と願ってきたのに、自分が本当に求めていたのは「強くなること」ではなかったんだよ。なりたい自分を得るための手段でしかなかったんだ。

近くなったもの、遠くなったもの、距離は様々だけれど

私にとっては失ったものよりも得たもののほうが何倍も多いかな

それだけはわかってる